福は内、鬼は外の意味(2023年2月5日講話)

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(なが)()を かくろいませし(とこ)(たち)の   (かみ)()でまさむ(はる)()(きょ)()()

 

まだまだ寒い日が続いていますが昨日4日は「立春」、暦の上ではすでに春です。その立春の前日は「節分」ですが、その恒例行事は各地の寺社で行われる豆まきです。“鬼は外、福は内”と豆をまきます。

 

ところが、その鬼か実は国常立尊(くにとこたちのみこと)という立派な神様であり不正やウソ、誤魔化しなど許さないという厳格な神様だったと言います。ゆえに多くの神々に「少しくらいの事はええやん」と煙たがられ、何千年か前の節分の夜に鬼門の方角(うしとらの方角)に押し込められてしまったというのです。

 

こうした経緯から国常立尊のことを「艮の金神(うしとらのこんじん)」とも言いますが、肉体を失われた国常立尊は霊界にいかれ、あの迫力ある面持ちで死者の善悪を裁く閻魔大王となられたのです。なお明主様は「国常立尊は太陽神の系統であられる」ために、この日を境として「世界(霊界)は夜になった」とも仰せられています。したがって夜の世界とは「本当のことがウソとなり、ウソが本当」のように言われる世の中のことでもあるわけです。

 

 その後、長い月日を経て(3千年ともいわれるが)、大本教教祖・出口直子師の口を借りて怒鳴られたのが明治25年(1892)の元旦。それは、

 

「今度はこの世の閻魔として生きた人間を裁くぞよ」

 

ということであり、このことを冒頭のお歌では詠まれているわけです。

 長い間、ウソと本当の事が逆さまになってしまった世の中ですが、世の中の様々なことを見るにつけウソと本当を立て分ける浄化作用は立春を節目として年一年と厳しくなってきていることを実感します。

 

ところで「鬼は外、福は内」という掛け声は豆まきの時だけかと思いきや、それを自分にとって「都合の良い事が福(善)」「悪い事は鬼(悪)」と置き換えるとどうでしょうか。

 

そして福だけを望むから悪の意味を考えようともせず、やることは「悪ならばやっつけてしまえ」ばかりの世の中になってしまいました。目先だけの良し悪しでは最終的には痛い思いをすることになるわけで、そこで今月は「福は内、鬼は外の意味」というテーマでお話しします。

 

 

▼目先だけで考える世の中

 

 

西洋医学の祖たるヒポクラテス以前の医術はもっぱら僧侶が営んでいました。そこにヒポクラテスが登場し「病気の原因は人間の知恵で理解できるはずだ」と考え、それまで哲学(信仰)の1分野であった医術を、医学として初めて学術的に系統立てたのです。また彼は、「病気を癒すものは自然である」と自然の働きの大切さも説いていたのです。そして肝心の生命現象については、

 

「宇宙に遍満する生気をプネウマと呼び、生命現象はこの生気によって支配されている。生命の根本は霊魂の営むところであり、霊魂はこのプネウマを介して肉体を操っている」と考えられていました。

 

19世紀半ばまではこのような霊的側面を加えながら体の治療を行なっていたのですが、しかし病気に対しては無力でしかなかったのです。

 

その後、俄然として勃興し始めた機械文明(科学)の発達は医学の分野にも大きな影響を与えることになります。それまで「霊の障り」などとみていた病気が、顕微鏡の発明により今まで見えなかった細菌が見えるようになったのです。これを機に「病気の原因は細菌だった」として新たなクスリや治療法が開発され、今まで治せなかった病気を治せるようになったというわけです。そうは言うものの肝心な病気は解決されたかというと、現在も新たな感染症は出現し、病気の解決には程遠い現実があります。

 

科学の発達によって便利な世の中にはなりましたが、では人間の幸福はと問えば、それに逆行するかのようなことばかりです。何故幸福が伴わないのか、それは肝心要の事が分かっていないからです。

 

 

▼問題解決の根本は人

 

そこで忘れてならないのは、あらゆる課題の根底には人間がいるということです。人間が課題を生み出し、それによって苦悩するのも人間です。政治も経済も健康や環境問題も人間がかかわっており、その根幹をなしている人間問題を解決しなくては、どんなに良さそうな方法を講じてみても、それは一時的で結局はダメになってしまいます。

 

その人間問題の解決を考えずして、あまりにも枝葉末節なことにこだわり過ぎ、根本から外れてしまったことをいつもまじめに取り組んで泣いたり笑ったりしていることのいかに多いかです。

 

最新の科学は次から次へと新たな事実を発見していますが、それでも世界は分からないこと(謎)だらけであり、ましてや人間については「体の事についてはある程度分かっても、いまだ人間の本体を知らない」という現実があるのです。これがあらゆる不幸の源であって、例えば世界が平和にならないのも人が幸福に生きられないのも、そしていっこうに病気が減っていかないのも人間の本体が分からないからです。

 

もっとも五感に触れるものしかとらえられない現代科学に、これを求めても無理です。

素粒子の発見など現代科学は目に見えない世界へと突き進んでいますが、科学の限界は科学が自分で告白しています。

それは「不確定性原理」というのがあって、微小な世界を計測しようとすればする程「あちらを立てれば、こちらが立たず」というジレンマに陥り、つまり確定できない。要するに「科学では自然現象の究極を捉えることは出来ない」と言っているのです。

 

では人間の本体とは何か、「人間は生きながらにして霊魂である」ということです。

その霊魂を科学で捉えられないかと言って、その存在を認めないというのは現代科学の性格を知らない妄論でしかありません。

 ここで私たちが生きる自然界で起こっている現象を調べてみると、例えば「物を上に投げたら落ちてくる」「水を冷やせば氷になる」「気体を圧縮すると熱が出る」などの物理的現象は物理の法則によって説明できます。

 

ではその他の現象、例えば人間の運命や幸不幸はどうかというと、それらも偶然ではなく、それを支配しているのが各人に宿る霊魂(または霊)なのです。

 自動車は運転手の意によって動くのと同様に、人間は自らの内に宿る霊魂の意思によって行動しています。言葉も行為も喜怒哀楽の感情も、あるいは自らが発する雰囲気も内なる霊魂から発せられるものなのです。

 

すべての出来事の源は霊魂にあり、そこが分からないから何かの所為にするし、何かの所為にしているからどこまで行っても問題が解決されることはありません。要するにきっかけでしかないものを原因とするからおかしくなってしまうのです。

 

 

▼あらゆる出来事を生み出す霊魂

 

 年齢を重ねると増えてくるのが白髪、女性を対象にした「白髪を染めますか?」という調査2023.1.12読売夕刊によると半数以上が「染める」と回答しています。その大きな理由は本人だけではなく、夫や家族による「老けて見える」からだそうです。

 

 先日、ある会員さんより「白髪染めって肝臓を悪くするんですか?」との質問がありました。それはインターネット上でも話題になっているらしく、ある人は「使用量を守れば大丈夫」、ある人は「体には良くない」などといろんな意見があふれています。

 

 この方は白髪を染めると頭がヒリヒリ痛むようになり、また化粧品店に勤める友人からも「おしゃれ染めと白髪染めは違うもの。白髪染めはきついよ。」と聞いており、すでにやめておられました。その他にも「白髪染めを使ったら目がショボショボする」「白髪染を使うと調子が悪くなった」という人もいるから、「避けるべき」とお伝えしているわけです。

 

参考のために頭髪について一言しますと、明主様は「健康な人の髪質は固い。体が弱い人は柔らかい。また髪質の固い人は性格も固く、軟らかい人は柔軟。そして固い髪の毛の人ほど白髪になりやすい」などと仰せられています。若年の人がなる若白髪について、

 

これは薬毒です。私の頭の白いのも薬毒のためです。私は若いとき歯が悪くてそうとう薬を使ったんですが、それが頭を使ったため頭へ集まったのです。白髪染めは使ってもいいですが、頭についたりすると浄化を起すことがあります。御光話録4 昭和24年2月18日)

 

白髪染めを使うことによって「若く見える」というメリットはあるでしょうが、それはあくまで目先の話です。染めることによる頭からの浄化は体だけではなく、そうした積み重ねが不幸の要因となることもあるわけで、それは熱を下げる解熱剤、痛みを取る鎮痛剤など薬物(化学物質)全般にも言えることです。

 

ここでも「鬼は外、福は内」と目先だけのメリットしか考えないから、後々、様々な問題(トラブル)が生まれてくることになります。

不幸の真因について、明主様は「霊魂を曇らせるからだ」と仰せられていますが、

 

では曇りとは何かというと、昔から宗教では罪穢としているが、これは誰も知っているから説明の要はないが、それは表面だけの事であって、その奥の深いところに大きな原因があるのでこれが曇りの本元である。それは何かというと、これこそ世人が最も結構なものとして、昔から現在までも旺(さか)んに使用している彼の薬剤である。

といったら何人も仰天するであろうが、私は神示によって知り得たのであるから、絶対信じて貰いたい。すなわち薬を体内に入れればその毒によって血液が濁る。血液が濁れば霊体一致の法則によって霊が曇るのである。

ゆえに薬程恐るべきものはないのである。(「薬が不幸を作る」 昭和2825

 

と仰せられています。病気治療に使うクスリ、農薬、肥料、食品添加物や美容や衛生用品など様々なクスリ(化学物質)にあふれかえっている世の中ですが、

 

(くすり)(ほど)  ()(おそ)ろしきものあらじ   (やまい)(つく)るものにありせば

 

とありますように、それらを目先だけのメリットで使った結果、病気だけではなく、それが災害、如いては戦争などの争いを生む一つの要因となっていくとしたら怖い話です。

 

 

▼曇りを消す力としての浄霊

 

冒頭に述べましたように現代社会はいまだ「本当の事がウソになり、ウソが本当のように言われる」ままです。その最大のものが「病気になることは悪い事(鬼)、病気しない事が良い事(福)」であり、それが故に「熱が出ることは悪い事で熱を下げることが良い事」として病気をより増悪させてしまっています。

 

このように地獄世界を望む曲神たちは目先だけの良し悪しに終始させるため(根本に目を向けさせないため)の方策としての「鬼は外、福は内」だったのではないでしょうか。

 

長く続いてきた、そんな世の中に明主様がお出ましになられ、あらゆる物事の根本は「霊主体従である(霊魂である)」と説いて下さいました。そして病気や不幸の真実は、

 

精神的にも肉体的にも、すべて苦しみは浄化ですよ。その苦しみによって曇りがとれるんですからね。ところが、浄霊をすれば苦しまなくても浄化されて霊の曇りがとれるんですから、だからこれはたいへんな神の恩恵ですよ。(御光話録12 昭和2421

 

と健康や幸福への道を示してくださったのです。

 何事も目先だけで一喜一憂するのではなく、「今は苦しくとも善くなっていくための過程(浄化作用)」と思えるようになっただけは自然に健康的な考え方の持ち主に変っていくものです。何より私たちが明主様から頂いた救いの力である浄霊、それは、

 

(しこ)(びと)を (じょう)(れい)をもて(きよ)むれば    (まこと)(ひと)(かわ)(とうと)

 

とありますように、浄霊こそはもっとも確実な人間の改善方法であると信じています。