明日の医術 第3編 昭和18年10月23日
私はこれから、未知の世界を説こうとするのである。未知の世界とは、いうまでもなく死後の世界である。
人間はいかに幸福であり、いかに健康であっても、いずれは死という事は、絶対免れ得ない運命である事は判り切った話である。ある西洋の哲人はいった。
『人間は生れると同時に、死の宣告を受けている。』
――と蓋(けだ)し至言であろう。
昔から安心立命という言葉がある。しかしながら、それは生命のある期間だけの安心立命を称えるのであるが、私の考えでは、それだけでは人間は心から満足し得らるるものではない。真の安心立命とは、死後は固より未来永劫を通じての安心立命でなくてはならないのである。しからば、そのような永遠的安心立命なるものは得らるべきものであるかという事であるが、私は確信を以て応えるのである。
それは死後の世界の存在を知る事によって可能である。勿論死後の世界とは、一度は必ず往くべきところであるが、一般人としては、人間は誰しも、現在呼吸しているこの娑婆世界のみが人間に与えられたる世界であって、他に別の世界など在りようはずがない――と確(かた)く信じているのである。
しかるに何ぞ知らん、未知境である別の世界は、厳然として存在している事である。従って、人間なるものは現世界から死後の世界即ち霊界へ往き、霊界からまた現界へ生れるというように、二つの世界を交互に無窮に往来しているのである。
しかるに、厄介な事には、霊界なるものは、人間の五感によって識る事を得ない、――虚無と同様である為信じ難いのであるが、何らかの方法によって実在を把握出来得れば信じない訳にはゆかないのである。
それは私が霊と霊界の存在を確め得た――その経験を読むにおいて何人といえどもある程度信じ得らるるであろうし、この事を知るに及んで、真の安心立命を得らるべき事は疑いないのである。