栄光169号 昭和27年8月13日
「神の目的であるこの世界を天国化するについては、一つの根本条件がある。
それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されている悪そのものである。
ところが不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を好まず、悪に触れる事を非常に恐れるのは固より、昔から倫理、道徳等によって悪を戒め、教育もこれを主眼としている。
その他宗教においてもその教えの建前は善を勧め悪を排撃するにあり、世間を見ても親が子を戒め、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下に対してもそうであり法律もそれに刑罰を加えて、より悪を犯さぬようにしている。
ところがこれ程の努力を払っているにもかかわらず、事実この世界は善人より悪人の方が、どのくらい多いか分らない程で、厳密に言えば恐らく十人中九人までが悪人で、善人は一人あるかなしかという状態であろう。(中略)
前記のごとく悪なるものが、人類不幸の根本原因であるとしたら、なぜ神は悪を作られたかという疑問が湧くであろう。これが今日まで最も人間の心を悩ました問題である。
ところが神はついにこの真相を明らかにされたのでここに発表するのである。
まず第一今日までなぜ悪が必要であったかという事である。
というのは悪と善との争闘によって、現在のごとく物質文化は進歩発達し来ったという何と意外な理由ではないか。
ところがこのような夢想だも出来ない事が実は真理であったのである。
それについてはまず戦争である。
戦争が多数の人命を奪い、悲惨極まるものなるがゆえに、人間は最もこれを恐れ、この災害から免れようとして最大級の智能を絞り、工夫に工夫を凝らしたのでこの事が、いかに文化の進歩に拍車をかけたかは言うまでもない。
何よりも戦争後勝った国でも負けた国でも、文化の飛躍的発展は歴史がよく示しているからである。
しかしながら戦争が極端にまで進み、長く続くとなれば、国家は滅亡の外なく、文化の破壊ともなる以上、神はある程度に止め、また元の平和に立ち還えらすので、このように戦争と平和は交互に続いて来たのが、世界歴史の姿である。
また社会を見てもそうであり犯罪者と取締当局とは常に智慧比べをしているし、個人同士のゴタゴタもその因は善と悪との争いからであって、これらの解決が人智を進める要素ともなっているのは分るであろう。
このように善悪の摩擦によって、文化が進歩するとすれば、今日までは悪も大いに必要であった訳である。
しかしながらこの悪の必要は決して無限ではなく限度がある事を知らねばならない。これについては順次説いてゆくが、まず肝腎なことは、この世界の主宰者たる主神の御目的である。
これを哲学的に言えば絶対者と、そうして宇宙意志である。
彼のキリスト始め各宗教の開祖が予言されたところの世界の終末であるが、これも実は悪の世の終末の事であったのである。
そうして次に来るべきものが理想世界であって、病貧争絶無の地上天国、真善美の世界、ミロクの世等々、名は異なるが意味は一つである。
というようにこれ程の素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の完備である。
それに対して神の経綸は物質面を先にされた事である。
というのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるが、物質面の方はそうはゆかない。
非常に歳月を要するのはもちろんであるからである。しかもその条件としてまず第一に神仏の実在を無視させ、人間の精神を物質面に集中させた事で、その意味で生まれたものが彼の無神論である。
というように悪を作るには無神論こそ最も根本的であるからである。
かくして勢を得た悪は益々善を苦しめ、争闘を続け人間をして苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は常に這上ろうとしてあがいている。
これが文化の進歩に大いなる推進力となったのはもちろんで、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。
以上によって善悪についての根本義は分ったであろうが、前記のごとくいよいよ悪不要の時が来たと共にそれが今日であるから容易ならぬ問題である。
しかしこれは臆測でも希望でもない、現実であって、信ずると信ぜざるとにかかわらず、それが最早人の眼に触れかけている。すなわち原子科学の素晴しい進歩である。
従ってもし戦争が始まるとしたら、今度は戦争ではなく、一切の破壊であり、人類の破滅であるが、これも実は悪の輪止まりであるからむしろ喜んでいいのである。
しかもこの結果今日まで悪が利用して来た文化は一転して善の自由となり、ここに待望の地上天国は生まれる段階となるのである。」