御論文「本教の誕生」←クリックすると御論文ページに飛びます
あけましておめでとうございます。令和5年の新しい年がスタートしました。
正月と言えば日本では心新たにスタートを切る始まりの時であり、言葉を変えると原点に返ること、基本にかえってみることでもあります。「困ったときは基本にかえれ」などと言いますが、それも基本を知っておればの話であり、基本を知らなければどうにもなりません。基本とは家屋で言ったら土台のようなものであり、この土台がしっかりしていなければ家は傾いてしまいます。では私たちの基本は何か、それは物事の受け取り方と浄霊を受けて浄めていただく事です。そして明主様のみ心に適った生き方を心がけることだと思います。
年頭に当たって、まずはご論文「本教の誕生」のお言葉を拝読させていただきました。
▼自らの内にあるものがより溶けだす時代
昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻で世界は大きく様変わりし、それは石油やガスなどエネルギー価格の異常な高騰や食糧不安などを招いています。それだけではなく個人も国家も主義主張の対立が顕著になってきています。
テレビや新聞など見ていると、ロシア情勢などに詳しい専門家が「まさかロシアがウクライナに攻め込むなんて想像もしなかった」また、ある学者は「民主主義を拡大していけば世界が平和になる。同時に民主主義ではない国にとっては居心地が悪い世界だ。反作用のごとく、今は違う者同士がぶつかり合っている。」とも述べています。
研究と言っても過去の出来事から未来を予測するものであり、その前提は「今までの世界が今後も続いていく」と考えるからです。しかし今の時代、過去になかったことが起こる時代に入っており予測不能の時代ともいえるでしょう。これは世界情勢だけではなく、自分自身もそうなのかもしれません。
物事には、これから先「こうなるかも知れない」と予測出来ることと、それが出来ないことがあります。今回のコロナ問題もしかりウクライナ侵攻も予測できなかったことの1つで、このように全く予想もしなかったような悪しき出来事が突然起こってくることを「青天の霹靂」と言います。
多くは「何でこんなことに!」と驚くのですが、そうしたトラブルは何もないところに突然、天から降ってきたわけではありません。それは長い時間をかけて仕込んできた(熟成させた)様々な要因(曇り)が作り上げた結果なのです。なお、1つ1つは「小さいことだから」「大したことないから」と思っているから誰も気にしないし覚えてもいません。だからことが起こって被害など受けると、「何も悪いことなどしていないのに、何でこんな目に逢うの」となるのです。
唯吾身 よかれの心に災ひの 種播く人ぞ危ふかりける
とありますように、人が好ましく思わないようなこと、例えばウソや不正、「これくらい大丈夫」「いけいけ」というような慢心などは曇りとなり、やがては大きな浄化となって現れてくるのです。
日々の新聞報道などに接するたびに思うことは、何かあった時「こうでなければならない」などという過去の呪縛の中に苦しんでいる人が如何に多いかです。その大きな原因は人生の中で生じる病気や人間関係のトラブル(大にして戦争)、経済的な苦しみなど、みな「悪いこと」と断定してしまうからです。勿論こうした事は無い(あるいは軽い)に越したことはありませんが、例え理不尽に思える事だって起こってくるには起こってくるだけの理由があるのです。ではあらゆる不幸(あるいはトラブル)の真因とは何か、
人間の幸不幸は(自分自身の内にある)霊の曇りの多少によるのである(「薬が不幸を作る」 昭和28年1月25日)
と明主様は教えてくださいました。
それは各人の我や執着、偏見や誤解など想念の問題もありますが、何といっても最大の原因はクスリや異物を体内に取り込むことによって血を汚す(霊的には曇らせる)からなのです。「曇り」とは過去に自らが行った悪しきことの結果であり、「浄化」とは苦悩によって曇りを消していく働きです。ならば、その曇りを解消することが肝心なのですが、それができないから、あるいは分からないから冒頭の御論文にありましたように
戦争も、病気、貧困、犯罪、天災等の忌わしい事も、少しも減らないどころか、反って増加の傾向さえ見らるる
のです。太陽の霊気たる火素が増えた昼の世界とは、今まで自らの内にあったものがどんどん溶け出してくる時代であり、悪しきものなどない人はいないのですから、考えようによったら恐ろしい時代に入ったと言えるでしょう。しかし火素は浄化を通し、人を健康へ幸せへと導くエネルギーでもあり、これを活用しているのが浄霊なのです。
▼自らを振り返る
私たちは今までに教育、伝統、慣習など色々なものを身につけてきましたが、それは良いものばかりではなく要らないようなもの、例えば我や執着、嫉妬、偏見、誤解など変なものもたくさん持っています。それらが絡み合って1つの棒の様になり、何かを引き金にトラブルや不幸の種になるのです。しかし、こうした棒には普段の生活ではなかなか気がつかず、だから事に(浄化)ぶつかるたびに自分を振り返ること(心の中を掘り下げる事)は大事なことであり、改めるべきは改めようと心掛ける事です。
よく「失敗は成功の母」などと言いますが、それは失敗(トラブル・過ちなど)から学んでこそ、あるいは浄められてこその事です。それを何かの所為にして学ばなければ(気づかなければ)原因は消えていませんから、また形を変えて繰り返してしまいます。
AI(人工知能)研究者の黒川伊保子さんは「脳は失敗したと認知した時、その失敗に使われた脳回路を使わないようにしていく(注四)」と言います。つまり脳は十分に失敗したことを認知した時だけ成長するということであり、失敗を他人の所為にする人は脳が認知しないから、またやってしまうということです。
失敗した時、ショックを受けたり自己嫌悪に陥ってしまうこともありますが、それでも「ああ、ここが悪かった」「こうすべきだった」と気づけたら「教えていただけてよかった」と感謝申し上げ改めればよいと思うのです。どんな場合でも失敗を無駄にしないことであり、失敗も貴重な財産、こうした経験が後々人の役に立つ事が多いと思っています。
だからといって自分の心の中を掘り下げすぎて自分をいじめると、どんなに努力しても自分は駄目なのかも知れないと思うようになります。こうなると「もう俺はダメだ」というように心の中は暗闇となって地獄世界をつくることになり、それが現実となってますます悲観的になってしまうわけで、
何事も 程の一事を守りなば たやすかるべき此世なりける
とありますように心の中を掘り下げるのも浅くては意味がないし、掘りすぎるとこれまた厄介なことになります。そこで程々にということになりましょう。
よく魂を磨くとか、心を浄めるとか言いますが、具体的には「想念が変わっていく。天国的な考え方をするようになっていく」ということです。会員さんの多くは、「元気になりたい」「病気が治れば良い」という動機で浄霊を受けるようになったのでしょうが、それはきっかけです。浄化を通し浄霊によって霊魂が浄められたからこそ「神様はおられる」「明主様が何とかしてくださる」という確信ともいえるものになっていくわけです。
人は浄化されてこそ上等(上魂)になっていくのであり、それは楽な心(天国的な心・穏やかな心)で生きていけるということです。また神を知った人(信じられる人)は色々なことはあるけれど少々の事では揺らぎません。
ここに浄霊のすばらしさがあり、また明主様信仰の価値があります。人間は想念次第ですが、その心の基本ベースは体です。体が元気にならなければ明るい天国的な気持ちにはなれません。ここから体を健康(霊を浄める)にすることが肝心で、そのために私たちは浄霊を世に伝えているのです。
(注4) 黒川伊保子著「前向きに生きるなんてばかばかしい」マガジンハウス刊
▼これからの時代
これからの世界の動きについて、
いよいよ昼間の世界になると、太陽が東から霊界に出て、だんだん明るくなります。それで日本は極東ですから、日本から明るくなります。それから朝鮮、中国、中央アジア、西南アジア、ヨーロッパというように、だんだん明るくなって行くのです。それで、明るくなるとすると、今までの汚いものが非常に目立ってきます。夜の世界では分からなかったもので、 とんでもない汚いものがたくさんありますから、この掃除が今度始まるのです。それが神様のなさることです。それで神様は掃除をやられるのですが、しかしド タバタには立派な神様は手を出しません。そういう労働は悪魔にやらせるのです。そして神様は懐手をして見ておられ、指図されるわけです。それが人間界に現われてくるのです。それはだんだん分かってきます。これだけを言っておきますが、一番酷くやられるのは英国です。日本が戦争でやられましたが、英国はとてもそのような比ではありません。それは随分気の毒なものです。それだけではなく、アメリカもあるし、ソ連も最後はたいへんです。それは、時期が来たらそういうことも書きますが、今のところはこのくらいにしておきます。昼間の世界になるということは、東方の光がだんだん昇って行き、それが現界に現われるということで、これが根本です。 (御教え集18号 昭和28年2月15日)
このお言葉は今から70年ほど前に発表されたものですが、ここで現代社会を見る時、まさに悪魔的な想念を持つ人々によって世界が動かされている現実があります。昼の世界になった証であり、今はまだはっきり見えてきませんが、その裏では地上天国への歩みも着実に進んでいるのです。
弥果てに 全人類を浄霊に よりて救はん時ぞ待たるる
とありますが、医療を基盤として成り立っている現代社会、その立場は今も絶対的なものがあります。しかしその限界も露呈してきているわけで、そんな中において「浄霊を実践し、浄霊を伝えていく」という私たちの活動は容易なものではありませんが、救いの力は絶対です。だから機会あるごとに「こんな方法もあるよ」「クスリは出来るだけ控えたほうがいい」などというように「今年も縁ある人に浄霊を伝えていただきたい」と念願して年頭のお話を終わらせていただきます。